源平合戦と河野通信
9.通信の波乱の生涯
 壇ノ浦の戦いで通信は義経に塩の流れなどを教え、源氏方を勝利に導いたと言われます。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝は河野通信の功績を高く評価し、伊予国中部における実質的な守護と
 したとされます。
 通信は幕府御家人として奥州(岩手県)征伐にも参加しますが、後に承久の乱[承久3
 (1221)年]で後鳥羽上皇に味方し、鎌倉方と戦って敗れます。
 通信は負傷して捕えられ、奥州平泉へ流されて68歳で没します。
 この時の敗北で河野一族は領地を没収され、一挙に没落の運命をたどりますが、わずかに
 滅亡から逃れた血筋(通久など)もありました。