源平合戦と河野通信
8.壇ノ浦の戦い
 やがて源氏方も勢いづき、一ノ谷の合戦で勝利し、平家方を海に追いつめます。
 そして屋島の戦いを経て、いよいよ壇ノ浦での決戦となります。
 通信も軍艦(吾妻鏡)を率い、源氏方の総大将・源義経のもとにかけつけました。
 寿永4・文治元(1185)年3月24日の早朝、両者は激突します。
 この時、源氏方の軍艦は800余艘、平家方は500艘でした午後になって潮の流れが
 変わりました。
 平家方から裏切りも出て、戦いは一挙に源氏方を勝利へと導きました



 

壇の浦の戦いを俯瞰(ふかん)=高い所から見下ろすこと。

河野氏の紋章について

河野氏の紋章は傍折敷に三文字といい、四角い盆(折敷)の形に三の字のデザインで、
その由来は壇ノ浦の戦いの後、鎌倉の由比ヶ浜で催された戦勝祝いの宴席で、
通信が頼朝の前で第三席に連なった事によると言われます[予陽河野家譜]。

            
傍折敷に三文字   (『太平記』ほか 「折敷に縮三文字」
大山祗神社の家紋だが、河野氏の家紋として
使われた可能性もある(諸説あり)。