アラカルト
42.三津刈屋口の戦い
 時代は下り、慶長5(1600)年、石田三成らの西軍と徳川方の東軍が関ヶ原で天下分け目の
 合戦をします。
 伊予国の正木城(伊予郡松前)にいた加藤嘉明(よしあき、又はよしあきら)は東軍側として
 出陣します。
 その留守中のこと、西軍の毛利勢と河野氏の元家臣、それに能島村上水軍の村上元吉(武吉の
 長男)らが連合で芸州から海を渡ってきました。
 2,500余の毛利勢に対し、正木城は留守部隊がわずかと婦女子しかいませんでした。そこで
 家老の佃十成(つくだかずなり)は一計を案じ、毛利勢に婦女子の避難する猶予を求めました。
 そうした佃十成の計略に毛利勢はうまくのせられ油断、その夜は三津刈屋口(古三津)で夜営
 します。
 ところが十成は夜半から朝にかけて、手兵を率い敵陣の三津刈屋口を急襲して毛利勢を敗走さ
 せました(元吉ら戦死)その後に伝えられた関ヶ原の合戦の勝敗も、毛利勢に追い討ちをかけ
 たようです。