源平合戦と河野通信
4.通清、通信父子の拳兵
 瀬戸内海を支配していたのは、海賊平定に功績のあった平家一門でした。
 「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われ栄えた平家でしたが、その平家も平清盛の死を境に
 急速に力を失ってゆきます。
 治承4(1180)年、源頼朝が平家討伐の兵を挙げると、河野通清・通信父子はいち早く呼応
 しました。[治承5/養和元(1181)年]。
 そして、通清は伊予国の平家方の中心勢力だった平維盛(たいらのこれもり)の目代(もくだい=
 国司の代官)を越智郡にあった国衙(こくが=国司の役所)に攻め、これを討ちます。
 当時、平家に盾突くということは大変、勇気のいることでした。