戦国時代と河野氏
36.戦国の波よせる伊予
 予州家との争いや、跡目相続[河野通直は女婿で来島村上水軍の村上通康に自分の跡目を継が
 そうとしますが、家臣団の反対で失敗したとされる=「来島騒動」]などが尾を引き、弱体化
 してゆく河野氏に対し、周辺の戦国大名や、河野氏の家臣などが侵攻、叛乱を繰り返します。
 永禄11(1568)年には一条氏(土佐=高知県)の援軍を得た宇都宮氏と、同様に毛利氏の
 援軍を得た河野氏(通宣)とが宇和表の鳥坂峠(とさかとうげ=宇和町)で激戦、河野氏が勝利
 しています。
 そうした中で、もっとも脅威となったのは四国征覇の野望を抱く、土佐の長宗我部元親でした。
 元親は迅速に阿波、讃岐を押さえると続いて、伊予の東予、南予をほぼ傘下(さんか)におさめ、
 残る中予の河野氏をねらっていました。
 それに対して河野氏は同盟関係にあり、婚姻関係もあった毛利氏の力を借り、長宗我部氏の
 脅威から逃れようとしましたが、それも毛利氏が豊臣秀吉に急接近したため、雲行きが怪しく
 なります。