戦国時代と河野氏
35.麾下、村上水軍の変貌
 三島村上水軍といわれる能島、来島、因島の水軍は河野氏の配下ながら、徐々に力を蓄え、独自
 の勢力を持つようになります。弘治元(1555)年に毛利氏と陶(すえ)氏の間で起こった
 安芸の厳島合戦では毛利氏に味方し勝利させます。このことが縁となり、毛利氏と河野氏は関係
 を深めてゆきます。
 因島村上水軍は地理的にも毛利氏との結びつきが深く、河野氏とは関係が薄かったようです。
 もっとも独自性が強かった能島村上水軍の村上武吉はポルトガルの宣教師ルイス・フロイスから
 「日本一の海賊」と称せられる程でした。<BR>来島村上水軍も大きな存在でしたが、こち
 らは河野氏とは血縁などで深く結ばれ、その為、後の河野氏の跡目相続で大きな騒動となり、逆
 に河野氏から離反してゆきます。
 しかし、「海の大名」として瀬戸内海を支配していた村上水軍も、後にその威力を恐れた天下人
 ・豊臣秀吉の「海賊禁止令」[天象6(1588)]により歴史の舞台から姿を消します。