室町時代と河野氏
28.守護大名 河野氏
 通堯の跡(あと)を継いだ亀王丸もまだ10歳で、細川氏の脅威に対し、危機に陥った河野家で
 したが、将軍・足利義満によって救われたようです。義満は、康暦2・天授6(1380)年、
 亀王丸に対し、伊予国の守護職と本知行(ほんちぎょう)を安堵し、細川氏と河野氏を和議させ
 ました。
 しかし、和議の条件として宇摩、新居両郡は細川氏の実質的支配を認め、また亀王丸の弟・
 鬼王丸(後に通之)は細川頼之と「父子の契(ちぎり)」を結びました。
 兄の亀王丸は湯築城にあって惣領職を継ぎ、通義(みちよし=通能)と名乗ります。
 こうして河野氏は本家筋の通義の宗家に対し、通之の分家筋は予州家と呼ばれる ようになります。
 この頃(14世紀末か、15世紀初頭)になって河野氏もようやく、本格的に拠点を 風早郡
 河野郷の高縄城から、道後の湯築城へ移したと見られます。