戦乱の南北朝時代
27.通堯、無念の最後
 苦難の末、旧領を回復した通堯ですが、その後、京の政治情勢に変化がありました。
 三代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の管領として権勢を振るっていた細川頼之が失脚、
 讃岐国へひきあげたのです[康暦元・天授5(1379)年]。
 こうした情勢の変化もあったため、通堯は幕府と手を結ぶことにしました。そうすることで積年の
 仇敵・細川勢を押さえこもうとしたのです。幕府はすぐさま通堯を伊予国守護職に補すると
 ともに、細川頼之の討伐を命じました。
 細川氏もそれを待っていたかのように、伊予国へ再び侵入します。通堯は桑村郡吉岡の
 佐志久(さしく)原(東予市)に布陣しますが、激戦のすえ通堯は敗れ、一族とともに自害します。