戦乱の南北朝時代
22.初期の湯築城
 建武新政は短い命を終え、足利尊氏は暦応元・延元3(1338)年、征夷大将軍となり
 室町幕府を開きます。
 湊川合戦の後、通盛は伊予へ帰国、建武年間(1334~1338)に湯築城を築いたと
 されますが、築城の時期は明確ではありません。湯築城の名が初めて歴史に登場するのは、
 康永元・興国3(1342)年、忽那一族による湯築城責(攻)めです。
 当時、伊予国でも南北両朝に分かれ、また讃岐国(香川県)から細川氏が進出してくるなど、
 大きな混乱がありました。
 河野氏が道後に湯築城を築いたのは当時、南朝の勢力が強かった道後平野を牽制する為で
 あったようです。
 城の様式も丘陵を中心にしたシンプルな山城にすぎませんでしたが、城のすぐ南には石手川
 (当時は湯山川)が流れており、城の防御上、大きな役割を果たしていたと思われます。



南より鳥瞰(ちょうかん)した初期の湯築城を推定復元
鳥瞰=高い所から見おろすこと。また、全体を見渡すこと。