鎌倉幕府の滅亡
20.河野通盛、東上の足利尊氏軍に合流す
 こうして後醍醐天皇による「建武の新政」が[建武元(1334)]しますが、足利尊氏との
 力関係により中央の情勢は混沌(こんとん)としてきます。
 京の内野で足利尊氏軍に敗北した通盛は天皇方が意気上がる郷里・伊予にも帰れませんでした。
 一説には鎌倉に行き、一遍上人ゆかりの藤沢道場(遊行寺)を訪ね、その縁により建長寺で僧に
 なり、鎌倉に帰っていた足利尊氏に会い、服従を誓ったとも言われますが定かではありません。
 足利尊氏は京での権力闘争に破れ、いったん九州まで逃れます。その尊氏に随行していた通盛は、
 尊氏とその弟・直義から所領安堵(しょりょうあんど)の御教書(みきょうじょ)を受けています。
 尊氏は九州で天皇方を破り、九州、中国、四国の軍勢を結集し、再び京へ攻め上がります。
 一時、伊予国へ帰っていた通盛は、麾下(きか)の水軍などを率いて瀬戸内海を東上する尊氏軍に
 合流します。