鎌倉幕府の滅亡
19.星ノ岡の合戦
 蒙古襲来後、幕府に対する恩賞の不満が武士の間で募る中、後醍醐天皇が天皇親政を
 謀り失敗、隠岐島へ流されます。
 伊予国でも河野氏庶家の土居氏、得能氏、重見氏や、水軍の忽那氏、大祝氏、
 村上氏らが幕府に反旗を翻(ひるがえ)し忽那重清(忽那島=中島町)が幕府方の
 根来山城主・宇都宮貞泰(喜多郡=大洲市)を攻撃します。それに対して長門探題
 (ながとたんだい=山口県)の北条時直は海を渡って救援に赴き、天皇方の中心だった土居氏の
 拠点・温泉郡石井郷(松山市)に攻め寄せます。
 北条時直の軍は優勢なうちに星ノ岡城を攻撃しますが、迎え討つ反幕軍は地形を利用し夜襲、
 北条時直軍を大敗させます。
 一方、京では鎌倉方として六波羅(ろくはら)探題を警護していた河野通盛
 (みちもり=通有の孫)が手勢を率い、鎌倉軍から反幕軍に寝返った足利高(尊)氏軍と戦い
 ますが、時勢には抗せず敗北します。
 天皇方は新田義貞、楠木正成(くすのきまさしげ)の活躍などもあり、鎌倉幕府を滅亡させました
 [正慶2・元弘3(1333)年]