元寇と河野通有
14.通有、敵船に夜襲
 元軍(東路軍)が5月26日、対馬沖に再び現れます。江南軍と合流する手はずでしたが、
 江南軍の出発が遅れ、東路軍は単独で博多湾の志賀島まで攻めて来ました。
 この時、通有は小船2艘に一族を分乗させ、元の大船に漕ぎ寄せたのです。
 敵の大船から放つ矢にたちまち郎党4,5人が射伏せられ、頼みの伯父・通時も重症を
 負いました(後に死去)。通有自信も左肩を石弓で強く打たれ、弓を引くことも出来なく
 なりましたが、通有はひるまず片手に太刀を持ち、倒した帆柱を敵船に立てかけて
 よじ登り、船中の躍りこみました。そして、敵の大将を生け捕りにするという大手柄を
 立てています。
 『蒙古襲来絵詞』には、この戦いで、負傷した通有を肥後(熊本県)の竹崎季長
( たけざきすえなが)が見舞いにゆき、敵船の状況などの情報を聞く様子が描かれています。