元寇と河野通有
11.河野通有、九州へ出発
 さて、承久の乱で敗退、ほぼ滅亡という悲哀を味わされた河野氏でしたが、承久の乱の際、
 鎌倉幕府の重鎮・北条時政の娘(政子の妹)を母とした通久だけが鎌倉方に味方しました。
 そんなことから通久は河野氏の血を引き継ぐことができ、のちに伊予国石井郷(松山市)の
 領有を認められます。その領地を引き継いだ通久の孫・通有に対し、幕府から蒙古の
 再襲来に対する北九州沿岸防備の命令が届きます。
 これを河野氏の失地回復のチャンスと考えた通有は奮い立ちました。
 通有は九州へ旅立つ途中で河野氏の氏神である越智郡大三島の大山祗(おおやまずみ)
 神社に立ち寄り戦勝祈願をします。